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しょうとくの浜


写真提供 南寂

しょうとくの浜は、岸からリーフの落ち込みまでが
 近くてみんなでよく行きました
この写真には我掲示板のメンバーが
 勢揃いしている
  
この後夫婦となった人もいる

ドカチンと呼ばれていた人物も

しょうとくの浜の入り口にある小さな川

そこに架かる橋をマグジョ橋という

云われは知らない


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コメント 6

ドークマン

 どかちんは懐かしいですね。どかちんとはおそろいの弁当を持って民宿から仕事に通っていました。どかちんはその後西表から離れたのですが、那覇で偶然一緒になったことがあります。今はどうなのかわかりませんが、1ドルハウスと呼ばれていた所だったと思います。彼の独特の雰囲気を思い出します。土方部屋の中でもあきらかに何かが違っていたようにおもいます。人を引き込むようなはにかんだ笑顔を覚えています。
by ドークマン (2005-10-22 22:23) 

南雀

ドークマン、ドカチンの貴重な情報ありがとう。
伝説の土方”どかちん”の写真は珍しいと思い投稿しました。
あまり喋らない人でしたし、他の土方部屋の人たちと
違って、一般観光客と遊ぶこともほとんど無かったのでは
ないでしょうか?カンピラのバスにも乗らず何処へくのも
黙々と歩く人だったような・・・
かく言う私もどかちんを見たのは数回で、直接会話したことは
無かったですね。そんな関係なら普通は直ぐに忘れるのですが
なぜか今でも強く印象に残っています。不思議な人ですね。
by 南雀 (2005-10-23 08:20) 

momotan

星砂ではありません。1979年7月29日しょうとくの浜です。右端の女性はズーコです。20代の水牛さんもいますな。
by momotan (2005-10-23 08:31) 

ひうち

モモタンの閻魔帳により、タイトルを訂正しました。
なにしろ記憶が曖昧です。
右端がズー子なら、まんなかはミワちんでしたっけ
by ひうち (2005-10-23 09:59) 

ヨースイ

 マグジョ橋のいわれはマグジョが、2トンダンプを橋の上で横転させたからだったと思います。当時は、マグジョガツッコンダ橋と正確に表現していました。
by ヨースイ (2005-12-09 12:47) 

ひうち

私も4トンダンプの運転手をしばらくやってましたが、白浜の坂で溝へ落としたり、何度もパンクさせたり、挙句にファンベルトを切ってしまい、おじいにバスで迎えに来てもらったのですが、そのバスが故障してしまって、春の忙しい時期にずいぶんとおじいをがっかりさせました。
by ひうち (2005-12-09 21:43) 

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